76.面接
どんよりとした心境に逆らわず、飛行船の手すりにニット帽を擦りつけていると、
「ん? どうしたんだ、?」
背後から聞き覚えのある声がした。
手すりにつけたままの頭の角度をぐりっと変えて、巨大な窓、そこに広がる雲の波間にうっすら映りこんだ人影を確認する。
「レオリオ……」
「なんだよ、次はいよいよ最終試験だってのに陰気だな」
ところどころ擦り傷の多い顔が、の隣にひょいと並ぶ。四次試験が終わって晴れ晴れとした様子が窺えるが、しかしは彼のようには笑えなかった。鬱々と吐いた息で、外気に冷えた窓ガラスが白く曇る。
ゼビル島での一週間は、二時間ほど前、今日の午前十一時をもって終わりを告げていた。
島に響き渡った試験終了のアナウンスに従って、一週間前に上陸した砂浜へ戻ってきたのは、を含めて十名。
試験開始時の二十六名という数から半分以下に人数を減らした合格者たちは、獲得プレート確認後に迎えの船で陸へと渡り、次いでこの飛行船に乗せられたのである。
行き先は“最終試験会場”とのことだが、その前に休息期間が設けられるらしい。連日の緊張感からの解放、それを思えばレオリオのように晴れやかに笑っていてこそ当然の姿だが、にそれに倣う気力はなかった。
……陰気で結構です……と空気より重いため息を窓へ吐きかける。
「おいおい、ホントに試験通過したって顔じゃないぜ? 島でなんかあったのか?」
「ほっとけよ、リオリオ」
「いや、レオリオだから」
彼が顔をひきつらせてツッコんだ相手は、の隣から顔を出した銀髪少年、キルアだった。
「お前わざと間違えてるだろ、ぜってー」
「それはどーでもいいけどさー」
「よくねーよ!」
食い下がるレオリオをまるっと無視し、キルアは話を進める。
「コイツのことは放っといていいぜ? くっだらねーことで落ち込んでんだからさ」
「くだらなくないもん……」
ぐり、と今度はキルアの方へ向いて抗議するも、取り合ってはくれなかった。やれやれと肩をすくめられただけだ。
「つーか、帰りの船から二時間ずっとこれだぜ? いい加減うざいっての」
ひどい……と窓にすがりついて鼻をすすると、うざいと言いつつも傍を離れないキルア。そんな両者を交互に見て、「……お前らってさ」 レオリオは不思議なものに遭遇したように目を丸くした。
「そんな仲良かったっけ?」
「別に仲良くは」
「仲良く見える!?」
バッ、と反射神経を総動員して頭を手すりから引き剥がしたは、さっきまでの陰鬱さが嘘のように喜色満面、両目からきらきら光る何かを振りまいた。
「ねえどうしよう仲良し兄弟に見えるってキルア!」
レオリオには突然の奇行に若干引かれ、キルアには「うぜーよマジでやっぱ落ち込んどけよ」 と辛辣な暴言を叩きこまれたが、嬉しすぎて都合の悪いものは何も見えないし聞こえないので問題ない。
初めて客観的に仲良しだと言われて有頂天のが、さっきまで落ち込んでいた原因は勿論キルアに関することではない。可愛い弟との関係は、現時点をもって概ね良好なのである。
晩ご飯を一緒に食べた三日目の夜。気まずい雰囲気は結局朝まで取り払われず、寝つけもしなかったは見張りがてらにそのまま明るくなるのを待った。
キルアが眠っていたのかどうかは分からない。近付いて確認することもできず、翌朝起き上がった彼に粉末スープをお湯で溶いて朝食として差し出すも、受け取ってはくれたものの言葉を交わすことはなかった。
あー、うー……なんか、避け合ってた頃に戻ってるよう……。
表面上は明るく、でも心の中ではそうしょんぼりしていたのは、適当に島の中を散策していた昼過ぎ頃までだった。まさか――そう、まさかこの島に、よそよそしいこの空気をブレイクしてくれる存在があったとは。
『……え?』
『……ぶはぁっ!!』
朝から固い表情を貫いていたキルアさえ噴き出させたのは、
『……トンパ?』
『ちょ、顔面フルボッコ……ウケる……!!』
ぐるぐるまきにされて岩の上に鎮座している、鼻のでかいおっさんだった。
「えさ、やらないでって……扱いが珍獣……っ」
そう注意書きされている立て札は岩にがっちり固定されているらしく、そこに縛り付けられたトンパは身動きができないようだ……が、その状況を理解する頃にはキルアも笑いすぎによる呼吸困難と腹痛でうずくまり、動けなくなっている様子だった。
……って、キルア、ホント笑いすぎ。可愛いけど。
そりゃあウルズもほんの少しは、いやかなり、いやいや全面的に、このトンパの末路は可愛いキルアに毒入りジュースを飲ませようとした天罰としか思えない。ゆえに同情の余地はないが、とはいえこのまま試験不合格なのは間違いないであろうトンパを大笑いしてあげるのはやはり可哀想だ。
『なぁキルア、負けた人を笑うのはよくないと、お兄ちゃんは思うんだ』
『ねーねー誰にやられたのー』
『えっ、ねえ聞いて?』
スルーされてしまったことはさておき、問われたトンパが、ぱんぱんに腫らした顔を苦々しく歪めてぼそっと出した名前には我が耳を疑った。
『レオリオはともかく、え、ク、ラピカさん……!?』
『ああ、なんだクラピカか』
『納得なの!? そんな印象ないよ!?』
『レオリオには恨み買ってるしクラピカ卑怯な奴嫌いそうだし、ハハッ、おっさんカワイソー』
『可哀想って思ってないだろキルア、ヒソカみたいな顔になってるから!』
『てめーら、人の状況楽しんでねぇでさっさと……い、いや頼む、縄解いてくれ!』
『は? なんで?』
『キルアに毒飲ませようとしたくせに何言ってんの』
二人して真顔で即答した時の、青ざめたトンパの顔は忘れない。
キルアに手を出した輩を手助けしようなんて選択肢は無い。これに懲りて姑息な悪事を働かなくなる……かどうかは分からないが、とりあえず灸は据えられておけばいいと思う。しかしながら、本当にこの状態で放置するのは後味が悪かった。
『あ、餌やんなって書いてあんのに』
キルアが面白くなさそうに口を尖らせたが、昨日の夜から、つい今しがたまで見せてくれなかった子供らしい表情に目を細めるは、やっぱりトンパの前に置いたお椀に水を注ぎいれることにした。
『雨降ってねーし、さすがに死ぬかなって』
キルアの目の前であからさまに礼は言えなかったが、餓死してほしくない程度にはウルズはトンパに感謝していた。
『覚えてねーじゃん』
自分が何を覚えていないのかは結局分からずじまいだが――
でも、キルアが機嫌、直してくれた……!
ありがとうトンパ!!
『おっさんイジるのも飽きたし行こーぜー』 ってちゃんと俺に声をかけてくれるこの感動プライスレス!!
ありがとうトンパ!! 縄は解かないけど!!
トンパが文字通り体を張って険悪ムードを壊してくれたおかげで、その後、弟といた五日間はにとって至福の時間だった。
適当に島を散策しつつ、喉元かっ捌かれた死体や頭と体に分かれてしまった死体に遭遇して『うわぁ……』 とこぼす度に『いちいちうるせーよ』 とツッコまれたり、段々ご飯のレパートリーがマンネリ化してきて文句を言われ始めたので焼いたり炒めたりして工夫をこらしてみたり、『わりとイケる』 なんて言われた時にはもう天にも上る気持ちで――
「……あのよぉ」
にやけ顔を隠すこともせず仲良しエピソードをこと細かに自慢をしていたに、やや飽き飽きしてきた様子だったレオリオがふと口を挟む。
気になったんだが、と、少々言いづらそうに。
「トンパだがよ、俺ら結構がっちり縛ったはずで……お椀の水……飲めたんかな」
……まぁ、五日前の話だけどよ。
そう遠い目で指摘するレオリオに、はっ、と兄弟揃って息を飲む。それが示唆する末期を想像して青ざめるの横でキルアは「ふっ!」 と噴き出した。
わ、笑いごとじゃないぞキルア、俺とキルアの仲を近づけてくれた言わばキューピッドなんだぞ!
そこで気付く。思えば最初に広い会場内でキルアと巡り会えたのだって、そもそもトンパがきっかけじゃないか、と。
毒云々は許せないが、ああ、そうだ。彼の存在なくして今はない。
トンパは、そう、俺たちのために犠牲になったのだ――
「トンパありがとう……」
「何が!?」
「キルアも忘れるなよ。キューピッドのこと……」
「は……? ごめん何言ってんのか分かんねえ」
「お前らほんとに仲よくなったもんだな……」
レオリオが苦笑しながら、思い出したように首をひねる。
「でも、じゃあなんで落ち込んでたんだよ」
不意をつかれるように話を戻され、トンパへの感謝の表情がさっと削げ落ちた。ふらついた先はガラス窓。ごん、と額をぶつけたまま「うー……」 と唸って動かなくなる。水が飲めなかったと思われるトンパの生死など、すでに窓の外、雲の彼方へと飛んでいた。話す気力も同様だ。
それを察したかどうかは分からないが、キルアが呆れるような視線を寄越しながら代弁を買って出る。
「ポンズって奴知ってる? 女の受験者」
「ん、ああ、まあ……」
「そいつとイイ感じだったけど、四次試験落ちてて、ケータイ番号も聞いてなくて連絡取りようねーから落ち込んでんだよ」
「え」
「な、くっだらねーだろ? 島行く前に番号交換してない時点で脈なしじゃね?」
「……べつに……」
脈のありなしとか考えてないもん。ちょっと仲良くなれて、友達みたいになれんのかなーって思ってただけだもん。女の子の知り合いなんていないしポンズってちょっと気は強いけど優しいし可愛いしまた会って話とかお茶とかできたらいいだろうなーってちょっと思ってただけだも
「やっぱ狙ってんじゃんか」
「ね、狙うとか! キルアの破廉恥!」
ぎゃあぎゃあ言い始めたところに、すっ、と無言で挙がる手があって、もキルアも一緒にそちらを向いた。
「ポンズ……ってやつ、な」
神妙な顔でレオリオが言う。
「オレの標的で……ゴンたちに協力してもらって、その……わりぃ、プレート奪った」
一瞬の沈黙の後、通路にキルアの笑い声が盛大に響き渡った。
「レオリオ……! あんた、島で色々やりすぎじゃね!!」
「色々って別に、あとはヒソカに会ったくらいで」
「いやそれラスボス級イベント!!」
「こっちだって会いたくなかったよ! でも不可抗力で……あ、う、恨むなよ。ポンズのも、ふ、不可抗力だ」
「………………恨んでないよ」
「嘘言うな目ぇ座ってんぞ……!」
……などとレオリオも加えてさらにぎゃあぎゃあ騒いでいたのを、それは唐突に遮った。ノイズ混じりに響いたのは、このハンター協会専用飛行船の船内放送、すなわち協会から受験者へのとあるお知らせだった。
飛行船の行き先でもなく、最終試験の日にちでもなく、船内放送が受験者たちに告げたのはこの飛行船の中で面談を始めるという突拍子もない知らせだった。しかも面接官は、このハンター試験最高責任者じきじきに務めるのだと言う。
「おいおい、まさかこれが最終試験なんて言わねーよな?」
眉を寄せるレオリオを残し、『受験番号96番の方』、と呼ばれたはキルアを連れ立って指定の応接室へと向かった。どうやら番号の若い順に呼ばれているらしく、どうせ次は99のキルアだからだ。
失礼しまーす、と声を張り上げて入った応接室は、以前働いたことのあるジャポン料理屋の内装によく似ていた。
一段高く作られた畳敷きの床の間、低い机にぺたんこクッション、壁際には素焼の花瓶に花をつけた枝が一本。
「えーっと……靴脱いだ方が?」
「どっちでもいいぞよ」
そう答えた老人も、白髪に着物という出で立ちがこの部屋によく合っていた。きっと彼の趣味なのだろう。そのこだわり空間を土足で汚すのも気が引けて、脱いだ靴を揃えて畳に上がる。
許可を得てクッションに座れば、机を挟んであぐらを掻くハンター協会会長ネテロその人は「まぁそう固くならんでよい」 とペンでポリポリ頭を掻いた。
「最終試験の参考に、三つほど質問するだけじゃ」
「はぁ」
「なに、ちょっとばかりデレた弟の気をさらに引こうと、明らかに念能力使ってぽんぽん物出して餌付けしてたのを咎める気はないから安心せい」
「……うぇええええ!? な、なな何で……」
色々筒抜け!!
「ぜーんぶ報告受けとるもーん」
ひょひょひょ、と得意げに笑うネテロに、ああ、そういやこんな爺さんだったなぁと去年のことを思い出しながら項垂れた。
「まあ元気そうで何よりじゃの」
「はぁ、おかげさまで……」
と答えつつもさっそく疲れ気味のだが、特に労ってももらえなかった。ネテロはマイペースに面談用のボードを準備し、そしてやはりマイペースに一つ目の質問が始められる。
「お主の事情は大体承知しとるが、一応他の受験者と同様に進めて行くぞい。えー、まずはなぜハンターになりたいと思ったかの志望動機じゃが……まあ去年のリベンジといったところかの? ふむふむ」
…………
……あれ、俺、必要?
「しかしそれだけでもあるまい、去年の、元々の志望動機も聞いておこう」
ため息を吐きかけていたところで、それを止めて、飲み込んだ。素直には答えがたい質問に、あー……と言葉を継ぎながら考え込む。
「情報収集……に役立つから欲しかったんだけど、もうその情報はいらなくなったっていうか……今はただ、知り合いに合格したって報告したいってのが一番の動機っすかね」
適度にぼやかしてはいるが、それは心からの本音だった。
ああ、あと一つ試験をクリアすれば、今度こそ合格だ。受かったって報告できるんだ――とあらためて実感し、胸を高鳴らせたは、
「ふむ」
やや意識がそぞろになっていたのは否めなかった。
「しかし、記憶を失った時の一件くらいしか思い出しておらんのじゃろ? 過去の手掛かりが欲しいとは思わんのか?」
「まーそれはそうっすけど……」
「親兄弟や家業のことは弟から聞けるにしても、鏡を使う念能力者の情報を得るには役立つと思うがの」
「あー、確かにそれは……」
「まぁ過去に執着はなく志望動機になりえんとしても、襲ってきた人間の情報はあって困るもんではない。無事に合格した暁には、知り合いに報告した後のライセンスの使い方として一考してみるのもいいじゃろ」
「そっすねー……って……」
…………うん?
「……あの」
「なんじゃ?」
聞き捨てならないことが多すぎて、疑問が洪水のように襲ってきて正直パ二くっている。なんで? どうして? と問いたいことはそれこそいくつもいくつも溢れてくるが、は唖然とした表情のままながら考えに考え、これだという質問を一つだけを拾い上げた。
「…………誰に聞いたんすか」
「お前のじーちゃん」
「…………」
だめだ間違えた余計分からん。
ニット帽に皺を作りながら頭を抱え、情報の洪水を整理しきれず溺死寸前の脳みそでかろうじて問いかける。
「えっと、あの、それって」
「ゼノ=ゾルディック。お前の祖父で、わしの古い知人じゃよ」
「え、は? 知人? 俺の? ソフ?」
「ちなみにわし、ちっちゃい時のお前さんにも会っとるよ」
はた、と目を見開く。
くしゃくしゃになった帽子と銀色の髪からゆっくり両手を離して、瞬きして……耳を疑った。
「…………はああああっ!?」
両手をついた衝撃で机を思わずひっくり返しかけた音も、腹の底からせり上がってきた驚愕の声も外にいるキルアまで聞こえたかもしれない。
しかしそんな激しい騒音を一身に浴びたにもかかわらず、ネテロは瓢々と髭を整えていた。
「ありゃ、あん時見た赤ん坊は弟の方じゃったかの。この年になると十年前も二十年前も変わらんのでな、ほっほっほっ」
「い、いや……全然笑いごとじゃないんすけど……!?」
会ってるって。
ちっちゃい時って。
「え、じゃあ、去年、じーさん、気付いて」
「おったよ」
即答!!
「アレから孫が一人帰ってこんと聞いとったんでな。試験後に写メ送ったらまー安心しとったわい」
「…………いつ、撮ったんすかそんなもん……」
「いい貸しを作らせてもらったぞい、ほっほっほっ」
愉快そうな高笑いに飲み込まれるようにして、蚊の鳴くような声で投げつけた精一杯の抗議は消え失せた。
……なんなのこれ。
どういうことなの。
このものすごい情報量をどう処理すればいいの。
とりあえず、おじいちゃんって何……!!
「あ、面談何聞かれた? なんかすげー大声出してたけど」
がら、がら、ぱたん、とほとんど滑るに任せてドアを締めたは、へた、とその場に座りこんだ。
「は? な、何……?」
頭の上からそんな訝しむ声が聞こえる。だが、可愛い弟の顔すら拝む気力は残っていなかった。
棒読みで呟く。
「なんかもう、色々怖い」
← back →
------------------------
情報経路:クロロ→イルミ→シルバとゼノ→ネテロ
|