8. 学力不問





「テスト開始の合図をしたら、まず目の前にある用紙に番号と名前を記入してください。その後記載されている問題に回答し、制限時間終了後、私に提出してください」

 筆記試験。
 その思ってもみなかった課題に動揺を見せる受験者達を、女試験官ベルはひぃ、ふぅ、みぃ、と数えていた。
「……一次試験通過者は、312名ですか。多いですね……当初は半分の予定でしたが、一次の分もふるい落とさなければなりませんから……四分の一。成績上位78名までを合格とします」
 よんぶんの、いち!?
 わき起こった低いどよめきに、も加わった。
 一次試験を勝手に打ち切りにしたのはそっちじゃないか、横暴だ! ……かといって、あのまま下剤にやられた奴らと一緒に放っておかれるのはもっと嫌な気もする。……うーん、複雑だ。

「それでは」
 雑音のおさまらない内に、左手首の内側をちらりと見やり、ベルはテスト開始を告げた。
「制限時間は三十分、始め!」

 びっくりするほど、ざわつきは綺麗さっぱり消え去った。代わりに用紙を裏返す音が一斉に鳴り、も慌ててひっくり返して名前の記入欄を探す。
「そうそう、言い忘れていました」
 コツコツとかかとを鳴らして歩きながら、ベルが言った。
「既にお分かりのように、このハンター試験では実力不足や運の悪さ、他人の妨害により、負傷したり命を落としたりする場合が多々あります。その用紙に名前を書いた時点で、それらを"了承した"と見なしますので、棄権者はその前に申し出てくださいね」
 皆の鉛筆を走らせる音が、一瞬ピタリとやむ──が、すぐにまた鳴り始めた。
 もまた、そんな事で棄権を考えたりするわけもなく鉛筆を手に取った。命はそりゃ惜しいけど、俺には武器たちがいるしね。何とかなる、いや、何とかするさ。
 ""──当たり前のようにそう書きかけて、鉛筆を止めた。あ、いけね、応募カードには違う名前書いたんだった。
 鉛筆のお尻についている消しゴムで今の名前を消し、"アーチ"と書き直す。
 既にテスト開始から三分が経過していた。


 時間が流れていく中、はザッと問題文に目を通していく。分かる問題がありますようにと強く念じながら。
 の顔がほころぶ問題は、二問あった。

 問.9 アルディア民族紛争の際にカズスターン社によって開発された軍用銃を次の選択肢から選べ。
 1:ルーザーP38  2:ケルトペイソン  3:ランドM-11  4:S&M600

 3! 常識だ!
 アルディアは砂漠の多い国だから、砂混じりの風に吹かれても故障しない銃器が求められた。そこで開発され、主に砂漠に基地を持つ部隊に愛用されたのがランドってわけだ。"ワールド・アームズ9月号"に載ってたぜ!

 問.14 グルバ市国にあるレイデン遺跡の発掘者を次の選択肢から選べ。
 1:ファルゴ=ルーマー  2:クリス=アズマ  3:セザルキー=オーストガル
4:エレイン=レイル

 2だよ、2。
 俺、この国立ち寄ったもんな、二週間ほど。展望台の清掃バイトやった時(外側の掃除だ。地上二百メートルのてっぺんからロープでぶら下がって窓ガラスを拭いていく。ちょっと揺れる)、上司のおっちゃんに地元自慢されたっけなぁ。クリスは我が国の偉大な貢献者だーって。もう話長いのなんのって。

 ……その、二問だけだった。
 全十五問中、二問だけ。
 鉛筆はむなしく動きを止めた。

 そもそもには学が無い。基本的な言語・計算能力などは残ってくれているものの、知識のほとんどは遥か彼方に消えてしまっているのだ。
 仮に過去の職業が学者か研究者であったとしても、今のはこの一年で知った事以外、何も知らない。例えば、

 問.3 それぞれ530ナノメートルと630ナノメートルの波長を持つ2色の光を混合させた場合、見える色を次の選択肢から選べ。
 1:赤  2:黄  3:緑  4:白

 ……えーと、すみません。
 引っ越し屋のバイトで使ったメジャーには、センチメートルとミリメートルしか無かったんですが何か。

 それを筆頭に全くもってちんぷんかんぷんな十三問に、は確信した。
 上位78人に入るなんて絶対無理だ。
 問.2にしたって、何だよこれ。"標高4000メートルでの水の沸点を次から選べ"って、そんな高い山わざわざ登らないし、水も沸かさないっつーの! 俺じゃなくてどっかの登山家か、そこに住んでる人にでも聞け!
 しかしながら、周りの鉛筆はかりかりと実にスムーズに音を奏でている。それに追い立てられるように、はショート寸前の頭を抱えて机に突っ伏した。無理だ……やっぱ無理だよシャルさぁん。

 額を、ほぼ真っ白な状態のテスト用紙にこすりつける。
 少しの間そのままで、鉛筆の音、ベルの歩く音、時計の音を鼓膜に漂わせていると──不意に、首筋に異物感を感じた。

 ぺちっ、と軽く叩いて見ると、手のひらの上で小さな虫が死んでいた。蚊? あー、噛まれたかも。
 そう意識したせいもあって痒くなってきた首筋をがりがりと掻きむしる。
 ああ、こんな事をしている場合じゃないのに、たった二問じゃ上位78人なんて……

 ゴンッ

 頭を悩ませていたは、びくっと体を震わせた。右隣の奴が、いきなり机に頭突きをしたのだ。そしてそのまま、動かなくなった。
 ゴンッ
 今度は左隣の奴だ。同じように、俯せたまま動かない。

 ……
 ……ああ、こいつらも分かんないんだな……

 ちょっと仲間意識を感じながら、はまたどーしよー……と悩み出した。



 *



 ぱちっ

 自分の近くに飛んできた虫を、シャルナークは両手で潰した。
 開いて、見る。
 プロカインシマカか。こいつは血を吸う器官の他に蜂の針みたいな物を持っていて、まず標的に毒素を注入してからゆっくり食事をする。自然界に生息するヤツなら、その部位の感覚を無くす軽い麻酔効果程度に過ぎないが…

 ゴンッ
 両サイドに座る受験者が机に突っ伏し、だらりと下げた手から鉛筆がこぼれ落ちた。

 こいつらには、随分強力なモノが仕込まれてるな。

 シャルは、既に解き終え裏返しているテスト用紙の上で、頬杖をついた。2列前で、また刺された受験者が声もなく倒れた。
 じきに目を覚ますだろうけど、時間内には無理だろうね。ご愁傷様。

 意識を失う受験者たちを一瞥しては知らぬ顔をしている女試験管ベルに、シャルは苦笑した。彼女もさすがは試験官だ、良い性格をしている。あんなに妨害妨害と連呼をすれば、こうなるのは当たり前だ。

 高得点が狙えないのなら、他を蹴落とせばいい。

 しかし、開始五分で全問を解いてしまったシャルには関係の無い話だった。後は妨害工作を適当にあしらえばいいだけだ。
 一つあくびして、今度はどこからともなく飛んできた小さな吹き矢にぱたんと倒れた受験者を認めながら、ふと思った。

 アイツは、大丈夫かな?



 *



 ふ、ふ、ふ、ふ。

 は、一人笑みを浮かべていた。
 残り十分。その脳裏には、ある必勝策が浮かんでいた。

 気付いたのだ。この一見難解に見えるテストに隠された、一筋の光に。
 これしかない。
 合格するには、これしかない。

 鉛筆を机に置いて、手を離し、人差し指以外の四本を折り曲げる。用紙の位置を確認すると、まぶたを閉じ、人差し指の先端を静かに下ろした。
 鋭く光る眼孔を解き放つと、はゆっくりと、指をスライドさせ始めた。


 ど・れ・に・し・よ・う・か・な


 そう、テストは十五問全て、選択問題だったのだ。


 もう、もうこれっきゃない、俺の生き残る道は……っ!
 指の先端に全ての希望をかけ、は真剣に呪文を唱え続けた。

 真後ろの受験者が蚊に刺され、倒れたのにも気付かないまま。






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問.3は手持ちの教科書から問題拝借。緑と赤の光を混ぜると黄色になるらしい。
標高4000mでの水の沸点は約90度だそうな。……つまりゾル家のガス代は一般より若干安いのか。