80.観戦
「よ、合格おめでとう」
そう真っ先に声をかけてきたハンゾーに、はむすっとした表情だけを返した。
「んだよ、その面。お前まで納得いかねーなんて喚きだすんじゃねぇだろうな?」
「……それはしないけど」
戦闘の勝敗がついたわけでもない。
ゴンのように揺るぎない意志を示したわけでもない。
言ってしまえばヒソカの気分一つで決まった合格に、今一つ達成感が無いのは事実だった。
「もっと喜べって! あのヒソカにまいったって言わせたんだからよ!」
もやっとするの背中を叩いたのはレオリオだ。
「いや、それは……」
「ヒソカとあそこまで渡り合えただけでもすごいと思うぞ?」
今度は視界に金髪が揺らめいた。
「私からも言わせてくれ、おめでとう、」
その穏やかに細められた猫目に、
「あ……はい、どうも……」
……素直に照れた。人間だもの。クラピカのような美人さんに褒められるとやはり嬉しい。
ああ、でも本当なら、ここで一番に『おめでとう! !』 と言って駆けよってきてくれるのはあのお日様のような少年だろう。その声が無いことに寂しさを覚えながら、ゴンの不在を確認するように辺りを見回したは――
キルアと、目が合った。
何よりも先にを襲ったのは、後ろめたさだった。
ほんの少し前、自分ははっきりと答えを出したのだ。
昔の自分は、嫌だ、と。
それは記憶が戻ってほしいと願っているだろうキルアを真正面から裏切るもので、キルアに伝わってないにしろ、顔はひどく合わせ辛い。
伝わって……ないよな……?
キルアの顔色を窺うように、おどおどと見つめると……目を逸らされた。
顔まで背けられ、はこの試験中に何度も感じた距離の遠さを察する。
だめだ終わった
絶望と共にそう思いつめたの胸に、
「…………合格できて、良かったじゃん」
キルアの言葉は、他の誰のものより強く響いた。
「……おめでとー」
そうぽつりと言ったキルアは、ハンゾーのようにまっすぐと向かい合っても、レオリオのようにに触れても、クラピカのように笑顔でもなかったが、それでもの息を一瞬止めてしまうだけの破壊力を備えていた。
とりあえず、後ろめたさも罪悪感もふっ飛んだ。
それを悟られていなかった安堵も通り越して、キルアの口から発されたまさかの祝辞に、感極まる。
……ダメだ、泣く……!
ありがとうも何も言えず、それどころか口を抑えないと感動の涙がこぼれ落ちそうで。そんな大げさな兄のリアクションをちらりと見たキルアはぎょっとして、祝いの言葉をかけたことを後悔するように頭を掻いた。
「ヒソカ相手にマジでやり合うとか、バカとしか思えねーけど」
けなすような言い草だが、さっきの言葉をチャラにしようというキルアの照れが見えて頬が緩む。一緒に緩んだ鼻をぐずっと鳴らして、は喜の感情がすべて漏れ出た満面の笑顔で答えた。
「へへ……ゴンの試合の後じゃ、情けないとこ、見せらんなかったから」
「普通棄権するっての。次のチャンスあるんだからさ」
呆れ気味に肩をすくめたキルアだが、「……でも」 そこから先は、まるで独り言のように小さく呟いた。
大広間の中央を、さっきまでゴンやが戦っていた場所を見やって。
「すげーと思うよ、ゴンも、あんたも」
……どうして、そんな顔をするのだろう。
すごいと思う、なんていう褒め言葉と、そんな曇った表情はあまりに似つかわしい。心を悩ませるようにやがて目を伏せた姿には心配をつのらせるばかりで、
「キルア?」
ありがとうより先にその名前を呼んだ。
返事はない。
何も言わない。
だからは、キルアの憂い事を勝手に考え、想像するしかなかった。
「……そうだ。ゴンの様子、ちょっと見てくるよ」
ふい、と顔を上げたキルアの反応に、自分の想像が外れてなかったんだとは思う。
『すげーと思う、ゴンも、あんたも』
そう呟いて目を伏せたのは、きっと名前を口にしたことで、大怪我を負ってここにいないゴンを思い出し、憂慮したから。きっとそうだと確信して、安心させるようには弟の頭にぽん、と手を乗せた。
「行ってくるな」
返事は、なかった。
次に戦うのは先ほど負け上がったヒソカとクラピカだと試験官が告げるのを聞き、自分と同じ不幸に見舞われたクラピカを涙ながらに激励した後、は広間を出た。
少し覗いて、大丈夫そうなら、すぐ戻ってこよう。試合も気になるし、キルアも友達の容態を早く知りたいだろうし、もしゴンが動けそうなら一緒に戻っても――
ぱたん、と後ろ手に扉を閉めたところで、はた、とは思考を止めた。
…………ゴンって、どこに運ばれたの?
うっかりするにも程がある。自分を情けなく思いながら、バカにされるのを覚悟で場所を聞きに戻ろう、と閉めたばかりの扉に手をかけたその時、
「ゴンくんはこっちですよ」
声がかかった。
少々の舌足らずさが可愛らしい女の子の声。振り向けば、ふわふわしたハニーブロンドにえんじ色のジャージ、ハンター試験の補佐をしているという少女、ミラがにこりと微笑んだ。
「合格おめでとうございます、さん」
そこは広間の隣に位置する控え室で、たち受験者が宿泊した部屋と同様に立派な調度品で整えられていた。
大きいゆったりとしたベッドに横たわるゴンは、ところどころにガーゼや包帯を当てられ、左腕などはギプスでがっちり固められている。痛々しいが、すやすやと心地よさそうに眠っている少年にひとまず安堵しながらはベッド脇の椅子に腰かけた。
「打撲も切り傷も軽傷ですし、意識はじきに戻ると思いますよ。骨折も、複雑には折れてませんから治りも早いはずです」
「そっか、よかった」
「ところで」
隣に立つミラが、おもむろに近くの椅子を引き寄せてと向かい合わせに座った。
「さんの手当てもしましょうか。最後だって、ヒソカさんにきつい一発、浴びせられてましたよね」
「う……見てたの」
「はい、見てました」
救急箱を膝に乗せ、手早く準備を整えたかと思えば額に消毒液を含ませたガーゼが押し当てられていた。痛い染みる痛い。
いやでもどう見たってゴンの方が傷は深い。大人の俺が痛いと喚いてどうする……! と頑張って平静を装おうとして、あれ、と引っ掛かる。
「でも、ゴンの手当てしてたら、俺の試合見れなかったんじゃ……あ、最後だけ?」
「いいえ、全部見てましたよ」
良かったら見ますか? ヒソカさんとクラピカさんの試合。
と、ミラは妙な申し出をする。
頬の切り傷を消毒されながら部屋をあらためてみるが、テレビモニターの類はない。いくら隣の部屋とはいえ試験会場とは壁で隔たれており、そこへ直接通じるドアも窓もない。見るといっても、どうやって。
それをが尋ねる前に、消毒液とガーゼをひとまず脇に置いた目の前の少女のオーラが増した。
そうだ、忘れてたけどこの子、念能力者――
丸くなるの目に、やがて一匹の蝶が映った。
「“胡蝶の夢(バタフライアイ)”。偵察用能力なんですが、この具現化した蝶がカメラの役割を果たします」
くすんだ赤色の羽を持つ蝶はふわりとミラの指先から離れると、きらきらと黄金色の鱗粉をその軌跡に残しながらドアへと羽ばたいていく。
しかし、ふ、とそのきらめきが見えなくなった。
「小さくすればドアの隙間もすり抜けられます。でも、やはり大きい方が解像度は高いですね」
言いながら、ミラはジャージの袖を気合いを入れた表情でまくり上げ、再び手の中で物質を具現化した。ふぅ、と一息ついた彼女の前に現れたのは花柄模様の入ったテレビモニターだ。
「自分一人だと携帯電話くらいのしか大きさしか具現化しないんですが、二人で見るので、頑張ってみました!」
そう言ってモニターをの方に向け、えへへと笑う様子は……可愛い。
「そろそろ、蝶も会場に入ったはずです」
モニターのスイッチを入れると、数秒の砂嵐の後、さっきまでが見ていた部屋と顔ぶれが映し出された。
ネテロや試験官、壁際に並ぶ受験者たち、そして広間の中央には――ヒソカとクラピカ。
「こ、これ、隣の、今の、映像?」
「はい。でも、一応“隠”で見えないようにはしていますが、ヒソカさんが怖いのであんまり近寄れません……」
「いや、十分だって! すごいなミラちゃん!」
「えっ、そんな……全然戦闘向きでもないですし、ハンター試験でも、遠くからの監視くらいしか役に立てませんでしたから……」
とリリン、ヒソカとギタラクル。念能力者四名をゼビル島で尾行するにあたって、使用されたのがこの念能力だったのだろう。
なるほど、小さな蝶に隠までされては気が付けないはずだ。
「ホントにすごいって! 俺、島でこうやって映されてたの全然分かんなかったし……それに戦闘に特化してるだけが念能力のすべてじゃないって師匠が言ってた! 例えば……う」
スキルハンターを左手に開いて笑むクロロの姿と共に、地表から這いだす茎、開く花びら、したたり落ちる溶解液がの脳裏を侵食する!
「うう……っ」
「……さん? ど、どこかまだ怪我を?」
「な……なんでもないよ……。戦闘向きじゃなくても、すごくえげつな……高性能な能力はあるから、すごくいいと思うよ、うん……花とか、花とかさ……」
寒気に縮こまるをよそに、モニターの中の光景は熱気を放っていた。
クラピカとヒソカの、息をつかせぬ攻防。それは、やがてヒソカがクラピカに何やら耳打ちしたのち、一方的に負けを宣言するまで続いた。
第一試合で負け上がったハンゾーがポックルを容赦なく叩きのめした第四試合。
途中、『ミラちゃんは渡さない』 だの『こっちのセリフだハゲ!』 だのと聞こえたが力の差は歴然だった。ハンゾーは『合格のチャンスはまだあるが、ミラちゃんは諦めるんだな』 と勝ち誇っていたが、ただしミラは「……お二方の物になった覚えは、な、ないのですが……」 と困惑しきっていたので、この事実は後でちゃんと彼に伝えておこうと思う。
その次の試合では、とクラピカに降参して負け上がってきたヒソカが、質実剛健の武人ボドロを一方的に打ちのめし、勝利した。抵抗を続けていた彼の心を折ったヒソカの囁きは小さすぎて蝶では拾えなかったが、そこで折られておいてよかったと思うくらいの満身創痍さだった。同じ相手と戦ったは、他人事とは思えない。まぁよく生きて合格できたものだと今更ながら自分を褒めてあげたくなった。
負けたボドロはまだ試合があるので、その場で、ボドロ自身が傷の処置をするようだ。協会側の人間ゆえに試験中に手を貸すことができないミラは、心配そうにモニターを見つめている。かわいい。
そうして次の第六試合は――
「ばっか、キルア! なんで降参しちゃうんだよ!!」
が、ゴンが寝ていることすら忘れて大声を上げてしまうほどあっさりとキルアが負けを宣言した。
いや……数分は、戦った。先ほどハンゾー相手に負け上がったポックルの攻撃をひらり、ひらり、と遊ぶようにかわしていた後……しかしキルアはため息をつき、「つまんない。やっぱ戦う気がしない」 という理由で合格を譲ったのだ。
「もったいないですね……」
「そうだよ! もったいないよキルア! っていうかすっごい応援する気満々だったのに! 戦うとこもっといっぱい見たかったのに! キルアのばかー!!」
「あの、さすがにゴンくん起きちゃうのでお静かに……」
やんわりと諭され、「す、すんません……」 花柄モニターにかぶりついていた身を剥がす。
「キルア、負け上がりかぁ……次の相手って誰だろ」
「えーと、ちょっと待ってください」
蝶を操り、ミラがトーナメント表を映してくれる。
次の相手は……301番。
301? 301って確か……
というか、表を見るに、301番はキルアとの対戦がようやくの初試合だ。ここまでまだ一度も戦っていない人間はといえば――
が答えを出すのを待たず、その試合は存外早く訪れた。
レオリオが、ボドロの怪我を理由に第七試合の延期を進言し、先にキルアとその男が広間中央へと誘われたからだ。
やっぱ、こいつかよ。
は、リリンやポンズ、そしてその男と共にトリックタワーを攻略している。だから彼が前触れ無く針を引き抜き、筋肉や骨の引きちぎれる音を立てながら顔面を変形させていくのを見ても驚かず、ただ、キルアが念能力者と戦うことだけを懸念していた。
ヒソカは発を、最後の一度、遊び程度にしか使わなかったが、が嫌ってやまない性格の歪みきったこの男、ギタラクルは念能力者でもない子供相手でも何をするか分かったものではない。
ダメだ、棄権した方がいい。
そう思い、隣の会場へ駆け込むために席を立った――ちょうどその時だったので、はっきりと聞き取れた自信がなかった。
けれども、椅子を引いた音に邪魔されながらもうっすら耳に入った単語は聞き間違いだと捨て置けるものでもなく、は足を止めてミラに尋ねた。
「今、キルア、なんて?」
「えっと……“兄貴”って」
「……誰に?」
「え、あ……ギタラクルさんに、です」
『や』
黒髪をなびかせ、整ってはいるが作り物のように感情を宿さない顔で、親しげに声をかける。
そんなギタラクルを、キルアは兄貴と呼んだ。
意味が分からない、とモニターの前で呆けたのは一瞬だった。
分からないままの方があるいは幸せだったかもしれないが、思考が勝手に、二年間という少ない記憶の中からその男に関するものを拾い上げていく。
最初に会ったのはソシオタウンのはずれの森だった。
に用があると言って、ありがたいどころか迷惑なだけの口出しをして、師匠をけなしてをけなして。
その声は確か、誰かに似ていなかっただろうか。
『奇遇だね、まさかキルがハンターになりたいと思ってたなんてね』
そう、モニターから聞こえるこの声は、誰かに。
ギタラクルは、ヒソカの仲間だ。
ヒソカは、の兄だという人物とも知り合いだ。
イルミ。
夢で、垣間見た過去の記憶で邂逅したそいつと、森で出会った青年は胸がざわつくほど声の雰囲気が似通っていて、しかし青年はギタラクルと名乗り、その時からの中で二人は別人になった。
しかし。
ギタラクルはヒソカの仲間だ。
ヒソカはイルミの知り合いだ――
『実はオレも次の仕事の関係上、資格をとりたくてさ』
『……別に、なりたかったわけじゃないよ』
いや、そんな疑いより何十倍も、モニターの中の光景は分かりやすさに満ちているではないか。
『ただ、なんとなく受けてみただけさ』
キルアがこいつを兄と呼ぶのなら、こいつと、俺も。
『そうか、安心したよ。心おきなく忠告できる』
頭の中ではもう繋がっている。とはいえギタラクルと呼べばいいのかイルミと呼べばいいのか、まだ理解と感情が追いつかないだったが、
『お前はハンターに向かないよ』
モニターから淡々と流れてきた言葉に、ふと自分の困惑から意識を離した。
『お前の天職は殺し屋なんだから』
“ギタラクル”の性格の悪さは、嫌と言うほど知っている。常に人を上から見下ろし、自分本位な意見を相手が屈服するまで並べ立てる……腹は立つが、こいつはそういう奴だと諦めているところもあった。軽蔑するだけして、もう関わらなければいいだけのことだ。
…………しかし。
『お前は熱を持たない闇人形だ』 だの、『自身は何も欲しがらず、何も望まない』 だの、『歓びを抱くのは人の死に触れた時。お前は、オレと親父にそうつくられた』 だのと、大事な、大事な、やっと言葉を交わせるようになった大切な弟をモノ扱いされた上、酷く貶められたからには、ふつふつと湧き上がる怒りを抑えられるわけもなかった。
キルアが人形? ふざけんな、能面顔のお前じゃあるまいし!
めちゃくちゃ怒るし、めちゃくちゃ鼻で笑うし、睨むし、照れるし、めちゃくちゃ楽しそうに笑うんだぞ、知らないのか!?
何も望まない?
そうつくった?
お前、何様だ……!!
欲しいものくらいある、と訴えるキルアを『ないね』 と一刀両断するそいつの放漫さに両手で掴んでいるモニターをみしりと言わせるが、画面の中でキルアはさらに食い下がった。その、徐々に小さくなっていく声には耳を寄せた。
何回か言い淀むも、自分の心の奥底に沈めていた思いを懸命に引っ張り上げるように、キルアは声を絞り出す。
もう人殺しなんてうんざりだ
普通に
ゴンと友達になって
普通に遊びたい
そんな、十二歳の子供なら言葉にして願うまでもないありふれた日常を、
無理だね
そう、“兄”が切り捨てた瞬間、は静かにモニターを置いた。
「さん?」
戸惑いがちに声をかけてくるミラに、手当てや試合観戦の礼を述べる余裕もにはなかった。
「あ、あの……ギタラクルさんが、キルアくんのお兄さんってことは」
部屋を横切っていくを、ミラの視線が追いかける。
「さんとも、ご兄弟、なんですか……?」
それは今、何よりも答えがたい質問だった。
兄弟だなんて、信じたくない。
だけど、本当に兄弟だとしたら……許せない……!!
きつく握りしめたドアノブを、それが壊れてしまう前に開け放つ。廊下をまっすぐ進む先は、大好きな弟と、心底軽蔑する男のいる試験会場だ。
*
加減という言葉を知らないように強く開けられたドアが、反動でゆるゆると戻ってくる。閉まる。その音を聞きながら、ジャージの少女ミラはが置いていったモニターを手にとった。
「さんとも、ご兄弟なんですか?」
具現化した物体であるモニターを消し、右手の中に収まる程度の小さな携帯型モニターに具現化しなおしながら、さっき自分がした質問を繰り返す。
「……知ってます。“イルミさん”、兄弟ですよね」
それに、自分で答えを返した。
「ゾルディック家の長男と次男だってことも、二人とも殺し屋だってことも、さんが仕事中にソシオシティで記憶喪失になったことも、イルミさんが一度それを捜しに行ったことも、去年の試験に落ちたことも、それをヒソカさんがイルミさんに伝えたことも、クロロさんがイルミさんを呼び出して接触したことも、その後イルミさんが修行中のさんを訪ねたことも、勿論、この試験のトリックタワーで諍いを起こしたことも」
長いまつ毛を伏せて見つめていたモニターの中のイルミから目を離し、
「知ってます」
が飛び出して行ったドアを、ゆるりと見やった。
そして花がほころぶような微笑みを浮かべ、甘い声で一人呟く。
「私、知ってますよ、さん」
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