83.報告




「…………」

 は憮然とした表情で、受話器を置いた。
 試験会場から最も近い空港。そのロビーに置いてある公衆電話は既に相手のケータイとは繋がっていないが、それを見つめ続けるの不満は膨れるばかりだった。

『あ、師匠! 俺、受かったっす!!』
『そうか』
 プツン
 ツー、ツー、ツー……

「…………短い!!」

 空港の隅とはいえ、公衆電話の数台並んだここは人目も多いが、そんなことは構わず叫んでしまった。思い返してみても、短いよ師匠!
 おめでとう、とか、よくやった、とか、さすがオレの弟子だ、的なことは無いのだろうか。
 すべてのセリフをクロロの声で再生してみた。
 あ、無いわ……。

 だが、労いの言葉をかけてくれたり、合格祝いに欲しいものはないかなんて聞かれたりすることをちょっぴり期待していた分、この落胆はを次の行動へとなかなか移らせなかった。
 先にクロロへ電話したのがいけなかったのかもしれない。
 こんなにそっけないのなら、後回しでも良かったのかも……そう思ってしまうのは、しかし結果論だった。もう一人の方へ真っ先にかけるなど、どんな試験をも上回る緊張が許さなかったのだから。

「…………」
 クロロとの電話のダメージ、という口実で、“もう一人への電話”を引き延ばしていても仕方なかった。
 公衆電話の横に置いていた大学ノートを開き、そこに大きく書かれた電話番号を確認する。クロロのものでもなく、一応書き写しておいたヒソカのものでもなく、さっき教えてもらったクラピカのものでもなく……一年前に別れたっきりの人物のケータイ番号を。
 緊張してかけられず、後回しにしてクロロに先に電話して、しかしあっという間に切られて……もう逃げ道も無い。この二年の生涯最大の緊張と向き合わねばならなかった。

 一つ、大きく息を吸い込み、吐き出してから、受話器を上げる。
 ……最初に、何て言おう。
 耳に当てた受話器からの音が、やけに大きく聞こえる。
 ……知らない番号からだ、まず名乗らなきゃな。
 一つ、一つ、いちいちノートとボタンを交互に見ながら確実に押していく。
 ……ヒソカの奴、嘘の番号教えてないだろうな。
 自分のものじゃ無いような、うまく動かない指先で押し終える。
 『おかけになった番号は現在……』 なんて無常なアナウンスは流れず、呼び出し音がかかったことには安堵したが、それも一瞬にして反転。一回コールが鳴るたびに、不安と焦りが怒涛の勢いで体中を駆け巡る。
 ……やばい。
 最初に何て言うんだっけ、っていうかちゃんと繋がるのか、まさかヒソカに繋がるなんてことは、ううう何か目の前クラクラする、大体忙しくて出れないかもしれないし、ああ、そうだ、あと五回、いや、うん、七回……八回、コール音鳴って出なかったら仕切り直そう、そ、そうしよ――

『はい』

 受話器からのその声に、目まぐるしく暴れていた思考がぴたりと止まった。
 あ、シャルだ。
 そんな半ば当たり前の感動と、懐かしさと、あと単純に急に繋がったことによるパニックからは数秒停止する。
 ……はっ……や……やばい放送事故だ! とやっと気付いて大きく息を吸い込む。

「あ、あの! えっと……俺、去年の試験で一緒だった、その、だけど……」
 つっかえるのも、声が上擦ってしまうのも、息がなんだか続かないのも緊張の成せる技。
「お、覚えて……る?」
 それでも言うべきことは言い切って、今度は受話器からの返答に耳を澄ませるが……ない。
 何も返ってこない。
 まったくの無音状態に、さっき繋がったように思ったのは勘違いだったのか、はたまた自分が何か言い足らず、言葉を繋ぐべきなのかと不安になりながら思案していると、

 プツン
 ツー、ツー、ツー
 と、クロロとの電話の終わりと、同じ音が耳に刺さった。

「…………」
 ……え?
 ……あれ、あれ?
「……もし、もしもし? え、え?」

 受話器にすがりつき、一人であたふたして、少しばかり周りの視線を集めた後……ようやくは理解し、青ざめた。


 き……切られ、た……!?


 何で、どうして、と不通になった受話器を耳に当てたまま凍りつくが、通信網の不調という都合の良い可能性を諦めて胸に手を当ててみれば、理由は一つしか思い当たらなかった。
 そ……そりゃ、そうですよね。
 連絡するって言っておいて、一年も経っちゃってますもんね……!!

 冷や汗を吹き出すの、次の行動は素早かった。受話器を置くフックを引っ付かんでガチャンと下げるやいなや、同じ番号をプッシュ。隣で電話中のビジネスマンの唖然と見つめる目にも気付くことなく、コール音が途切れるのを祈るような気持ちで待つ。
 さっきよりも数回多めにそれを聞いた後、
『はい』
 声が聞こえた瞬間、叫んだ。
「ごっ、ごごごめん!! 電話! 遅くなってホントごめん!! すっげー反省してるからとりあえず切らないで!!」

 ……返事はない。
 ……無言が、怖い。

「……えっと、シャ、シャルさん……」
『あ、すみません、どちらさまですか?』
「えっ」
『オレ、ここ一年でっていう知り合いに心当たりないんですけど。ええ、ここ一年以内には、まったく』

 ……ああああ、す、すっごい怒ってる……!

「す、すんません、ごめんなさい、連絡しようとは思ってたんだけど……ほら、一カ月したら電話するって、約束したし……」
『ああ、そういえば、一年以上前にそんな約束したような気がするなあ』
「う、うん、でも、その……番号書いてくれた紙、なくしちゃって……」
『は?』
 びくっ、とは反射的に直立する。優しい印象しかない人の地にめりこむような低い声は、鬼より何より恐ろしいのだと知った。
「そ、その……落とした、みたいで、番号、覚えてもなくて……」
『何それバカじゃん』
「う……はい、その通りです……」
『大体なんで公衆電話なんだよ。個人的に公衆電話からかけられるのは心臓に悪……いや、怪しいから嫌な気しかしないんだよね。ケータイは? 買ったんだろ?』
「あ……えーっと……ろくにバイトできてなくて、まだ……」
「…………」

 プツンッ
 ツーツー……という不通の音をいくらも聞かない内に、光の速さで二回目のリダイヤル作業を行った。『はいはい』 と出た声に泣いて乞う。
「ごめんなさい切らないでください……!!」
『なんなの一年ろくにバイトもしてないってお前』
「言わないで……っ」
『……まぁいいけど、さっさと買いなよ。ライセンスがあればケータイ代くらいどうにでもなるだろ』
「ああ、確かに銀行からお金借りれるとかなんとか……って……えっ」
 思わず受話器をまじまじ見つめる。
 この電話の最大の用件。その報告を、自分はシャルにしただろうか?
 まだ謝った記憶しかないのだが、と困惑していると、深く長いため息が聞こえてきた。
『あれから約一年、ちょうど毎年行われるハンター試験の時期だ。オレの番号を調べるためにハンターライセンスを使ったなら言わずもがな、そうじゃなく、試験前に何らかの方法でオレの番号を手に入れたとしても、お前のことだから『合格するまで連絡はしない!』 とか無駄に格好つけそうだからどっちにしても連絡は試験後。万一不合格だった場合は、格好悪いからせめてケータイ買うくらいまでは連絡を先送りにしそうなもんだし、つまり、試験直後と思われるこの時期に公衆電話からかけてきたってことはそういうことなんだろ』

 はきょろりと周りを見た。振り返ってロビーも見渡す。思わず捜してしまったその姿はあるはずもなかったが、の中の驚きが消えないのはシャルナークがあまりに見てきたようなことを言うからだ。
「……はい、その通りです」
『そっか』
「うん」
『おめでとう』

「ん……」
 電話で、ちょっとよかった。シャルがここにいなくてよかった。
「……ありがと」
 鼻痛い。
 泣きそうだ。

『で、オレの番号ってどうやって調べたわけ?』
「あ、ああ……教えてもらったんだ。その……ヒソカに」
 ものすごく嫌そうな『え』 が聞こえた。
『あいつも試験受けたんだ』
「うん、合格した。まぁ、試験中のあいつとはすげぇ嫌な思い出しかないけど……やっぱ来てくれててよかったって思うよ、じゃなきゃ俺、番号ってどうやって調べるのか途方に暮れてたと思うし」
『うーん……その点はまぁ……でも勝手に仲間の個人情報喋るのはちょっとなぁ。その内、仕事内容とか念能力とか最重要機密までべらべら人に売るんじゃないだろうな……』
 シャルの不快さを隠さない口調に、仲間といえど、そう信頼を置いているわけではなさそうだと知る。そういえば去年の試験でも、マチとはよく話していたが、対してヒソカとは距離を置いていたようにも思う。
 まあ俺もヒソカ超苦手だし、シャルもそうなんだったら気を使わなくていいからいいや、と考えていると、
『あ、そうだよ。念能力!』
 ヒソカの話題などキレイさっぱり忘れ去るような明るい声が上がった。

 軽い咳払いの後、声のトーンを戻したシャルが言う。
『オレは別に困らないんだけど、ほら、教える約束だっただろ。オレはどっちでもいいけど、が必要だと思うんなら教えようか?』
「ああ、それなら大丈夫。ちょっと知り合った人がいて、教えてもらったんだ」
『…………あっそう』
「念とか、その他諸々、修業してもらってたから……そう、バイトなんかさせてもらえないくらい、みっちり、みっちり、修業と入院しかしてる暇がないくらい、みっちり……」
『え、何それ怖い』
 オレにしとけばよかったのに、というシャルの言葉には、つい考え込んでしまった。クロロに師事したことに後悔はまったくないが、そういう平和的な道もあったのかと思うと、『じゃあこれからどうするの?』 という問いかけがあるまでもしもの一年に思いを馳せてしまった。遥か遠くを見つめてしまっていた視線を手元に戻す。
『またその人のとこで修業?』
「んー、師匠とはハンター試験までってことで別れたし……それに、いい加減がっつり働かなきゃなって思うし」
『どっかでバイト?』
「いや……」
 修業して、試験も合格して、さあこれから前みたいに働くぞ! という労働意欲に揺るぎはないが、“前みたいに”で、本当にいいのかという思いはあった。
 トリックタワーでの自己紹介時に感じた“無職の肩身の狭さ”、“手に職をつけることの必要性”……は理由ではない。
 それも非常に大事なことではあるが、その前から思っていたのだ、せっかくの修業、そして取ろうとしているハンターライセンスを、何か自分にしかできないことに活かせないかと。

『活かすって、念能力を?』
「うん、まあ、ちょっと考えてることはあるんだけどさ」
 念能力を活かした仕事。
 経験から考えるなら、の記憶に色濃く残っているのはクロロの仕事の手伝いだった。勿論犯罪を行うということではない。
「物を運ぶ仕事……とか」
『……物を、運ぶ?』
「うん、俺、結構おっきい物でも持ち運びできるからさ、そういうのって役に」
『待った』
 突然の強い制止に、饒舌になりかけていたは驚いて口を閉じる。
『公衆電話でする話じゃないね。誰が聞いてるか分からない』
 誰がって誰? たかが俺なんかの会話を盗聴するヤツなんかいる?
 まずはそう思ったし笑い飛ばそうともしたが、警戒しているのがシャルだと言う事実がそれをとどまらせた。シャルがそう言うのだから、そうなのだろう。この認識は一年経ってもちっとも色あせずに心にあった。油断などせず、気を付けるべきだ。
『でも、そういうことができるんだな?』
 シャルからのぼかした確認に、も曖昧に答えるよう努める。
「あー、うん。実際、人に頼まれてやったことあるし」
『……そう』
 そうなんだ。
 と、シャルのつぶやく声が少し遠く聞こえる。

『じゃあ、九月……』
 え? と聞き返すと、言いかけていた言葉をシャルは引っ込めた。
『いや、それはまだいいや。それより、そういうの仕事にするんなら、よかったら協力するよ。ツテもノウハウも何もないだろ?』
 おっしゃる通り、何もない。この念能力を活かすと言ったって、どんな風に仕事に、お金にしていくかの展望などまるっきり浮かんでいないのだ。
『とりあえずケータイ買えよ。無きゃ話にならない』
「はい……」
 まだそんな段階である。自立の道は厳しい。
「ライセンスでお金借りるのもなんかやだし、どっかでバイトして買うよ」
『手持ち、全然無いの? なんならネットで安いの落とそうか』
「んー、いや、そのー、無いことはないん、だけど……」
 言葉を適当に繋ぎながら、そうだ、ちょうどいいタイミングだと、切り出すことを心に決める。
 シャルの電話をすること自体が一番の目的。合格報告が二番。そして、三番目に、一年ぶりでいきなり頼るのも申し訳なく思うが、お願いしたかった件がこれだ。
「スニーカーって、高いかな」

『は?』
 目を丸くするシャルが容易に思い浮かぶような声だったが、しかしさすがのシャルナーク、『ケータイより、先にそれを買いたいってこと?』 とすぐに冷静にこちらの言いたいことを探りあててくれた。
『まぁ……ピンキリだと思うけど。大量生産品か、数量限定かでまず違ってくるよね』
「特別なヤツじゃなくていいんだけど……とにかく、ライキってメーカーの、一番新しいヤツ!」
 そう提示すると、早速受話器の向こうからカタカタと叩く音がする。調べてくれているようだ。
『種類と色は何でもいいの?』
「あー……うーん、何でも……」
 弟の好みも分からないなんてお兄ちゃん失格だなぁ。
 と、黄昏れるのはまだ早かった。
『サイズは?』
「え」
『サイズ』
「…………」
『これは何でもいいじゃダメだと思うけど』
「……ですよね……っ」

 キルアの兄ちゃんを名乗るなんて、百万年早かったよ俺……っ!!

 昔の俺なら知ってたんだろうか、知ってたんだろうな……。
 と、今までの葛藤をかなぐり捨てて、その記憶だけでも取り戻したいと切実に願い始めるほど追い詰められるに、電話の向こうから優しい助け船が出される。
『これって、話聞いてるかぎり誰かへのプレゼントなんだよな? サイズ、聞けないの?』
 とてもじゃないが、聞ける状況ではない。
 そもそも連絡手段も無い。知っているのは居場所だけだが――
「今度会う時に、ちゃんと、お土産用意して行きたかったんだ。けど……」
 しかし、それを実行することは不可能のようだった。
 ごめんシャル、せっかく調べてくれたけどもういいよ。肩を落として諦め、そう謝りかけた時、は思いがけない言葉を聞くことになった。

『間違ってるかもしれないけど……相手って、もしかして、弟?』

 心底、驚いた。
 話してない、シャルにはまだ、今回の試験の詳しい内容、勿論キルアのことなど、何も話していないのに、どうして――
『“夢”……見るって言ってなかったか? 弟に、土産せがまれて、見送られるってヤツ……もしかして、それかなって。違った?』
 ち……

「違くない!!」

 そう、声が割れてしまうほど大声で叫んでいた。
 何が驚いたって、何が嬉しいって、何が心が震えるほど感動したって――一年前、数えるほどの日しか過ごしていない人間のことを、の話したことを今もまだ覚えてくれていた。それが、受話器を強く握りしめてしまうほど、周りを忘れて叫んでしまうほど、死ぬほど、嬉しい。
 
『その子、いくつ?』
「えっと、十二歳!」
『了解、じゃあその年の平均サイズ……予算に余裕があれば、ワンサイズ上のも買っとけば? 入らなかったら悲惨だけど、大きい分には成長するだろ』
「シャル……! 天才! お前天才!!」
『そりゃどーも』
 そしてが褒め称えている間にシャルは諸々の検索を終え、品番とカラーリングの種類、価格、十二歳男子の靴の平均サイズをすらすらと伝えてきた。街の大きなスポーツショップに行けば、大抵置いているだろうとのことだ。
「ありがとう……! マジで俺、シャルに足向けて寝らんねー……! あ、シャルに何かあったら、俺何でも協力するから! 何でもやるからな!」
「あ、じゃあ九月……は、また今度でいいや。すぐ靴買って、その子んとこ行くんだろ?』
「うん、ここ空港だからすぐにでも……って、そうだ」
『何?』
「ごめん、もう一つ聞きたいことあったんだ……弟、ククルーマウンテンってとこにいるらしいんだけどさ」
『どこにあるか分かんないってことだな? えーっと……パドキア共和国のデントラ地区にある山……まぁ、空港に行けば普通にチケット発行してくれる国だよ』
 理解と仕事が早い!
「サンキュー! 速攻で靴買って、速攻で行って来る!」

 それでさ、とは言葉を継いだ。
「それが終わったら、また電話するよ」
『期待しないで待ってるよ』
「また公衆電話からになるけど、すぐ電話するから」
『はいはい』
「ケータイ買った後も電話する、メールとかもするから」
『はいはい』
「だからさ」
 少しの緊張をもって、はシャルに尋ねた。
「お願いばっかりで、悪いんだけどさ」
 一年ぶりに話すことのでき、かけがえの無さを思い知らされた、二度と繋がりを絶ちたくない存在。
 だというのに長い間音信不通にしてしまって。
 そしてこの電話でも頼りっぱなしで。あまりにたくさんの申し訳なさが、最後のこのお願いを伝える声を震えさせた。

「……俺と、まだ友達でいてくれる?」


 笑うように微かに吐かれた息の後、『はいはい』 という耳に馴染んだ答えが返ってきた。
「……へへ」
 人目の多い空港で、そんなことは何も気にせず受話器片手に破顔する。
 そうしては、これからたくさん重ねていく友達との電話の最初の一回目を終えた。二回目の電話の約束を堅く誓って。




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