85.二年のツケ
ミルキ=ゾルディックは断言する。
今日、この日こそ、自分にとって生涯最悪の日であると。
まずい。
まずいまずい、まず過ぎる――!!
体から吹き出ている大量の汗が、全速力で急いでいるせいか、それとも戦慄によるものなのかは自分でも分からない。
それを拭う暇があったら、一分一秒でも早く長い廊下を踏破し、自分の部屋へ辿りつくべきだった。
そう、まずは証拠の隠滅だ。
あいつより先に。見つかる前に。すべての証拠を隠してしまわなければ――!!
ドスドスドスドス、と怠惰と飽食によってでっぷり太った腹を揺らして自室の前にやってきた時には、息も切れ切れ、慣れない運動のせいで膝も悲鳴を上げていた。だがそんな黄色信号など無視して、鬼気迫った表情でドアをバタンッと開け放つ。
そこは、自分にとっての楽園だった。
最新式のPC数台に、不自由無いネット環境。そして部屋をぐるりと囲む棚には、流行りからコアなものまで、自分が萌えたありとあらゆる二次元作品の原作やグッズ類が網羅されている。
弟のキルアにオタクだ豚だ引きこもりだなどと言われても、長年かけて作り上げたこの城こそミルキにとっての至上の楽園。
……が、今日ばかりは、それを少々踏み荒らさなければならなかった。
とりあえずアレが、いの一番にヤバイ。
ぜひーぜひーと息をしながら、入ってすぐに目が合った少女……を象った等身大フィギュアに照準を定める。
ライトノベル、“ランヴァドール王国軍の美人上等司令官は無能三等兵の俺に夢中である”のヒロイン、ベリーナ・ファフニールのフィギュアが軍服姿で構えているのは、作り物ではなく、本物の機関銃である。
本物だからこその質感と重みが、フィギュアの精巧な造形美と相まってベリーナ様が三次元に降臨したような錯覚さえ起こさせる……が、今は、このままではヤバイ。
平常は考えられないほど乱暴にフィギュアの腕を稼動させ、力任せに銃を取り外す。
息つく暇なく、次は深夜アニメ“剣神!!”のキャラクター、レヴィテールちゃんのポスターを苦い顔で見やる。
ポスターの前に立てかけている、元ネタである神話の魔剣レヴィテールが問題だった。
これはダメだ、隠すしかない。
形の似ている本物の剣を装飾、塗装し、二.五次元の代物へと変貌させてしまった以上、これは取り返しがつかない。
手先が器用なことは、ミルキの数少ない特技である。
小物の自作はお手のもの、それを時折ネットオークションに出す内に、依頼され、オーダーメイドのコスプレ用小物やフィギュアのアイテムを作るようになった。神造形職人と一部で崇められ、制作工程をアップロードした動画サイトで才能の無駄遣いやプロの犯行というタグをつけられるのも珍しいことではない。
しかしその神職人は、今日、活動史上最悪の日を迎えようとしている。
その制作に重宝している細身のナイフも、型を取る原型も、解体して参考にしてきた銃器も、現状回復が不可能なほど加工した素材も、すべてすべて――ある人物からの無断拝借。
そのツケを払わされる日がやってきてしまったのだ。
原型を留めず言い訳できないものは証拠隠滅のため押入れへドーン。
工作道具に借りたナイフも使用感は消せないので箱の中へドシャア。
フィギュアやポスターと共に飾っていた物だけ抱えてドアをバターン。
鼻息荒くドスドスと、再び廊下を走り出す。
くそっ……!!
奥歯を噛み砕く勢いで歯ぎしりする。
バレないと思っていた。
いいやバレるバレないではない、あいつが置いていった武器の所有権などとうに消滅したも同然ではないか。
二年。二年だぞ?
ふらっと消えて二年間も音信不通な、生きてるのか死んでるのかもよく分からないヤツの私物を家族がどう扱おうが勝手じゃないか!
今更またふらっと現れたところで、ヤツには何の権利も無い!!
しかし、脂汗をかくミルキは悲しいかな解っていた。
あの男が帰宅し、自分の大切な武器を弟が好き勝手使っていたと知った時が――己の命の終わりであると。
殺される。
間違い無くぶち殺される。
……なんで、なんでオレが殺されなきゃいけないんだ! 家も仕事も大事な武器も全部ほっぽり出して行方不明になったのはそっちだってのにおかしいだろこんな理不尽が許されていいのか弁護士を呼べ弁護士を!
……ああ!
そうだよな、理屈や論理の前に人の話を聞くヤツじゃなかったよなあの根暗武器マニアは!!
弁解の余地をすべて諦め、ならもはや隠蔽しかないとミルキは全力で疾走する。それは傍から見ればさながら競歩のようだったが、命がかかったミルキにとっては酸欠寸前の全速力だ。
とりあえず、戻せる武器は元あった場所に戻しておこう。あの男の場合少し位置が変わっていたり手垢がついていたりするだけで何か勘付きそうだが、知らぬ存ぜぬで通せばいい。その時までに部屋に隠した証拠も隠滅しておけばオールオッケーだ。
だから急げ、ともかく急げ。今日帰ってくるのだとしたら時間は限られている。それまでにどうにか
「あ」
えんじ色の絨毯の敷かれた廊下の角を曲がって、そこにいた人物とぶつかりかけた途端――ミルキの脳内に人生終了のお知らせがポップアップした。
銀髪を覆い隠すニット帽に、作業つなぎ。
利便性を求めてか、単に頓着しないのか、着たきり雀な服装は二年経っても変わっていない。変わらぬゆえにその姿は、ミルキを絶望に追い落とすのに一秒とかからなかった。
二番目の兄。
=ゾルディック。
声が震えても、おかえりと言えばよかったのかもしれない。
頬が引きつっても、再会の喜びに笑えばよかったのかもしれない。
だが、両手をバンザイしてすべてを諦めた顔文字に脳内を支配されたミルキは、顔面を青く染め上げることしかできなかった。
そんなミルキを、が見る。
終わった。
抱えている武器の数々に、の視線が注がれる。
……終わった。
完全に現行犯逮捕ですありがとうございました。
取り調べや裁判をすっ飛ばし、絞首台への階段を上るような心地だった。もはや顔面蒼白のミルキを弄ぶように、はゆっくりと口を開く。
「…………それ、キミの?」
違いますとも。
アンタのですよ見りゃ分かんだろ……!
じわじわと首を絞めような問いかけに心の中で泣き叫んだが、
「……え……あ……」
実際には声に出なかった。自ら死期を早める勇気は、ミルキの中にはない。
「……武器、好きなの?」
いいえ、オレが好きなのは二次元サブカルチャーです。
ただそれを彩るものとして『丁度いいじゃねーかうひひオレが有効活用してやんぜ!』 って拝借してただよ悪いかこのコミュ障武器オタクが! つーか消えたんならずっと消えとけよいきなり帰ってくんじゃねーよおふくろの前じゃ絶対言えないけどお前なんかオレの中ではとっくにのたれ死ん
「なあ」
「っひぃぃいいい!!?」
ごめんなさいごめんなさい、えらそうな口を叩きました!
のたれ死んでません死んでません、そんなこと思ってませんんんん!!
「それ!」
突然両肩をがしっと掴まれ、ただでさえ糸一本で縫い留めていた精神がぱぁんと弾け飛んだ。
「ひっ……ひぃい、い……」
こみ上げる恐怖によって、悲鳴と謝罪が口から押し出される。
「う、うご……ごご、ごごめんよ、あに」
「どこで手に入れたの! そのナインズオールM01!」
間近で発された大声によって、ミルキの辞世の句になろうとしていた謝罪はあっけなくかき消された。ふひーふひーと目に涙を浮かべながら、言われたことを反芻する。
どこ……どこ、って、兄貴の部屋に決まって……
「…………え」
目の前にある顔に、ミルキは思考を止めた。
両手が塞がっていたが、できれば目をこすりたかった。
見間違いか。
錯覚か。
そのどちらかだろう。そのはずだ。あの根暗で陰気なコミュ障兄貴が、こんなにも目を輝かせ、頬を紅潮させて、満面の笑みを浮かべているなんてありえない。
「ナインズオール社の機関銃はどこでも流通してるけど……そのデザインと刻印、M01だよな、一番最初に開発された、レアな初期モデル……!!」
「…………」
「ど、どこで手に入れたの? そんな出回るもんじゃないし、出てもプレミアつくだろーから、値段だって結構するだろうし……!」
ミルキが口をぽかんと開けている間も、無愛想の塊であるはずの兄は笑顔と興奮を振りまき続けている。すごいなぁ、すごいなぁ、ときらきら目を輝かせている。
「…………」
誰だこれは。
兄貴……のコスプレをしたヤツ?
そうとしか思えなくなってくるほど、目の前の兄の様子はおかしかった。
怖い。あ、逆に怖くなってきた。
これが二年の内に身に付けた演技力とかだったらどうしよう怖い。自分が思いついたそんな仮定に、ミルキは再び絶望の穴に転がり落ちた。
きらきら笑って気を許させながら尋問して、自白した瞬間に表情削げ落としてぶっ殺す気だろうか?
いや。
この機関銃が自分のだと、吐かせるまでもなく兄は分かってるはずだ。二次元や暗殺を通じて多少武器に明るくても、愛でることをしないミルキがプレミア機関銃など所持しているわけがない。
全部分かっている。
そして途方も無く怒っているからこそ、驚くほどの演技力でミルキの精神をごりごり追い詰めにかかっているのだ。
追い詰めて追い詰めて最後はぶち殺すんですね分かります! ……くそ、そんなイルミ兄貴みたいなヤツ、二人もいらねーよ……!!
隠蔽も誤魔化しも無駄。となれば逃げるしかないが――相手に逃げ切れるほど鍛錬を積んでいればこんな贅肉はついていない。
鉢合わせた時から、万策は尽きていたのだ。
さようなら、俺の人生。
さようなら、小遣いをすべて間食とサブカルに費やした人生。
でもできれば“ラピッド☆オーバー”の最終回までは待って欲しかった――
「様」
死と推しアニメの未完結を覚悟したミルキの耳に聞こえたのは、人の命より武器の方がずっと重い次兄ではなく、聞き慣れた執事の声だった。
「奥様がお待ちになっておられます。急ぎ、広間へ」
色々テンパっていたせいかまったく気付かなかったが、の後方に影のように控えていたオールバックの執事が抑揚無く告げる。
それに、「え?」 とは振り返った。
「あの、えっと、ゴトーさん。おくさま、って、何すか?」
「キキョウ様です。様のお母上に当たる方です」
「……は!?」
死の淵に立たされて心神耗弱状態のミルキは、その会話をぼんやりと聞いていた。
執事にさん付けしたり、砕けているが敬語だったり、そもそも根暗なはずの次兄が信じられないほど人とコミュニケーションをとっていたりする違和感すら、ぼんやり眺め続ける。
「お、俺、キルアのとこに案内してって言いませんでしたっけ!?」
「奥様から、様をお連れするよう仰せつかっておりますので」
「いやいや聞いてませんけど、っていうか俺はキルアのところにね!?」
「まずは奥様に。ご案内致します」
「えええ……話聞いてくれない……! い、いや、会わないっていうのも薄情だし、いいんだけど……でも正直家すっごい広いし、会わずに済むかもとか考えてたとこだったし……」
ううう、と頭を抱える姿に、
……あれ?
と、いい加減ミルキも殺される様子の無いことを察知し始めた頃、はうろたえるのをやめて真剣な顔を作っていた。
「……俺、キルアに会いに来たんだ。だから……先にそっちへ案内してもらえないですか。その後なら……その……考えますんで」
お願いします。
そう言って執事風情に頭を下げたの姿は、正気に戻ったミルキの目に実に異様に映った。それは二年の内に演技力を見につけたとかそういう上っ面ではないように思えてきて、自分の感覚が間違いではないことを確かめるようにゴトーを窺う。
ゾルディック家に仕えて長い執事は、眉間の皺を深めてしばし黙したのち――恭しく礼をした。
「かしこまりました」
「え、あ……いいの?」
眼鏡のツルを上げる……フリをした手で表情を隠しながら、彼はぼそりと言う。
「……“ただちに”連れてくるようにとは、言われておりませんので」
……そういやゴトー、昔から兄貴に甘かった気がするな。
イル兄に訓練でボコボコにされたコイツの手当てとかしてたしなぁ。他の執事は気味悪そうに倦厭すんのに。
その当時の、表情筋をぴくりとも動かさないを思い出していたミルキは、
「なんか、すんません……でも、ありがとうございます!」
ニカッ、と屈託無く笑った兄を目の当たりにして、いよいよ大きくなった違和感に後ずさった。
誰だコイツ、ホントに誰だ。
でもゴトーが家に入れたってことはニセモノじゃないんだろうし……
「あ、そうだ」
くるっとこちらに向き直られ、ミルキは全身をびくっと震わせた。
何だか昔以上に得体の知れない兄に身構えるミルキへと、ブルーグレイの瞳が真っ直ぐ投げかけられる。
まるっきり普通の好青年のように笑んだまま、しかし少し申し訳なさげに眉を下げて、はとんでもないことを口にした。
「その、俺、記憶喪失になって……この家にいた時のこと、何にも覚えて無くて。だから……ゴメン、きみの名前、聞いてもいい?」
「…………」
あまりに突拍子がなくて、理解が追いつかなくて。
半ば放心状態のまま、気付けば自分は素直に名乗っていた。
「…………ミル、キ」
「そっか、ありがと。俺、今からちょっと弟に会いに行くんだけど、その後またミルキとは話したいな! 俺も武器好きなんだ!」
じゃあ、また!
腕をぶんぶんと振りながら、はゴトーと共に遠ざかっていく。
思えば最初から最後まで、彼は=ゾルディックらしくなかった。明るく朗らか、よく喋り、よく笑う。
まるで人が変わったよう。
その理由が……記憶喪失?
「つまり……俺が弟だってことも、覚えて、ない? 武器のことも……気付きようがない、のか?」
一人残された廊下で、ミルキが抱えていたすべての武器を放り出してガッツポーズをしたのはその数秒後。
生き延びた……!!
と、ミルキは九死に一生を得たミラクル危機回避に歓喜するが、しかし、人生最悪の日はまだ終わっていなかった。
それにミルキは気付かない。
が会いに行ったのはキルアであることと、そのキルアに自分がしている仕打ちを、すっかり失念していたからである。
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